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ネコぱら

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みなさん、ネコはご存知ですよね?

私は先日、「ネコぱら」について簡単な感想を述べた。 

今回は「ネコぱらはブレードランナー2049である」という部分に踏み込んで、もう少し書いてみたいと思う。

みなさん、「ブレードランナー2049」はご存知ですよね?

このブログの読者にブレラン無印/ブレラン2049を観ていない方はいらっしゃらないと思う。私個人としては「2049」のほうがスタイリッシュで好きである(無印あってのものだとは理解している)。ブレードランナーについて詳しく知りたい人は「プラスティック・メモリーズ」を見てほしい。私は見ていない。

何故ネコぱらは「2049」なのか?それは視点の人物が「ネコ」だからである。「2049」の主人公Kはレプリカントであり、ネコたちと同じように(ヒトとほぼ同じような知能があるのに)ヒト扱いはされていない。警察の同僚から「人間もどき」と言われ、友達/恋人といえばAIのジョイだけである。ネコはテストに合格し、その証拠である鈴をつけることで人間社会で生活を送ることができるが、Kも精神が安定しているか確認するための「ポスト・トラウマ・ベースライン」と呼ばれる心理テストを定期的に受けなければならない。これは「繋がった部屋の中」「1つの大きな細胞内の部屋と部屋の連結」「恐ろしく鮮明に高く白く戯れる噴水」などと繰り返し言わされるというもので、このときの反応を見るものである。作中で自身に対する秘密が明らかになったときKは大きく動揺してしまい、テストをパスできなかった。その結果Kはバッジを没収され自宅謹慎になっており、これもある種の「鈴の更新検査」と言えるだろう。

ブレラン無印には有名な「Cビームスピーチ」が存在する。これは本作のラスボスともいえるレプリカント、ロイ・バッティがデッカードに最期に残したメッセージである。

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」

こう言い残して彼はデッカードを救い、寿命で絶命した。つまり、自分の意志で何者であるかを選択して死んだのである。このテーマは2049にも引き継がれており、Kは物語の最後に自分が何者であるかを勝ち取るように「選択」をする。自分が何者であるかは、何者になりたいかで決まるといえる。このことはネコたちに対してもいえる。作中には、ネコが自分で生きる道を選ぶシーンがいくつか存在する。印象的なのは第9話ではないだろうか。メイプルは自分で歌手になりたいと思い、努力し、結果を出した。誰に言われるでもなく、である(シナモンにビンタを食らってはいる)。自分で勝ち取ったものでなければ価値がない、というテーマは、最近の私がよく感じることだ。このように、ネコぱらにはブレードランナー(2049)との類似点が数多く見られる。

ブレードランナー2049はNetflixで配信中である。ライアン・ゴズリング、アナ・デ・アルマス(「ナイヴズ・アウト」にも出ていた。ブレラン2049の彼女はとても可愛い)、ジャレッド・レト(モービウスで巻き返せるか)が出演している。監督は「ボーダーライン」などのドゥニ・ヴィルヌーヴである。また、映画の前日譚となる3本の短編がYouTubeにあるので、そちらもチェックしておくとより楽しめるだろう。