KnowRun

VARIATIONS

見ることについて語るときに僕の語ること

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ぼくが本格的に映画を見始めるようになったきっかけの作品が『ユージュアル・サスペクツ』。見た理由はもちろんアニメゆゆ式第5話で日向縁ちゃんが『ユージュアル・サスペクツ』の話をしてたから。フッと消えちゃうやつ。

それまでは映画といえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ダイ・ハード』ぐらいしか見てこなかったんだけど、これを見て「映画って面白い!」ってなった。

「偶然見たゆゆ式をきっかけに映画をたくさん見るようになった」という流れが美しかったので、自分もそういうエピソードがあればな〜と思い記憶を辿ったが特になかった。ただ、映画と深夜アニメの違いについて自分がどう認識しているのかを考える機会になったので、それを書いていこうと思う。

映画(劇場で見るアニメを含む)を見るときは常にそのままの面白さを期待して見る。それは捻られたプロットであるとか、センスに溢れた撮り方であるとか、卓越した演技であるとか、シーンを形作る劇伴であるとか、そういった素直な面白さである。期待したもの、期待した以上のものが見たいと思って映画を見る。

深夜アニメの楽しみ方はもう少し広いといえる。アニメコインという概念があるように、ギャンブルが成り立つほど深夜アニメの面白さは予測できない。絶対面白くなるだろうと思われていた作品が不発に終わったり、誰もが期待していなかった作品が(個人の中で)大化けするといった事象が頻繁に起こる。

「今朝私は、消滅していたかもしれない街の電車に乗ったわ。あなたが救った街の。

死んでいたかもしれない男から切符を買った。あなたが救った人よ。

仕事に必要な研究資料を読んだわ。あなたがその基礎を築いたのよ。

あなたが普通を望んでも、私は絶対にお断り。あなたが普通じゃないから、世界はこんなにすばらしい」

「本当にそう思うかい?」

「わたしはこう思う。『時として誰も想像しないような人物が、想像できないような偉業を成し遂げる』のよ」

深夜アニメを長年見ていても、どの作品が面白くなるのかはわからない。チョコレートの箱と同じだ。もっといえば、評価がある程度固まったあとでも「なぜそれが面白かったのか」を具体的に説明することが難しいように感じる。かなりの曖昧さを内包できる強さが深夜アニメにはある、と言い換えることもできる。

「ネコぱら」がいい例である。

僕は本作品が好きだ(ああ、もちろん「ブレードランナー2049」も)が、視聴中毎週のように「俺は何を見せられているんだ……?」と呟いていた。しかし、見終えてみると「ああ、見てよかったな」と感じる。これは終盤で評価値が逆転する現象とも違う。確実に積み重ねがあるのだが、どの部分に積み重ねがあるのかもよくわからない。2020年の「深夜アニメの」ベストに本作品を挙げるが、作品としての完成度は「GREAT PRETENDER」のほうが当然上だろう。ダークホース感というか、そういったものに価値を感じるのかもしれない。 

映画も深夜アニメも見る本数が少なくなっている(これは作品がつまらなくなっているのではなく僕がつまらなくなっているからだ)が、時折自分とその周辺を再解釈することで視点を変えていければと思う。今期でいうと「スーパーカブ」は非常に深夜アニメ的で、起伏はないが確実に積み重ねがあって見ていて心地が良い。まるで初期のコールドプレイのようだ(ドビュッシーって言えよ)。

ちなみに本当に一番最初に見たアニメは変態王子と笑わない猫だったんだけどそれは内緒にしてる。ファルーク・バルサラという出生名を隠してたフレディ・マーキュリーの気持ちが俺にはよくわかる。